働けない自分を持て余しているあなたへ
私は、決して順調なキャリアを歩んできたわけではありません。
必死でつないできた会社員としてのキャリアは、夫の海外駐在への帯同であえなく途絶えました。7年前のことです。
会社員時代にやっていた書籍編集の仕事は、パソコンとWi-Fiさえあれば遠隔で行うことはできます。ただ、著者さんと意見が食い違ったとき、顔を合わせて打ち合わせする効果を痛いほど感じていた私は、海外で同じ仕事を続けていくのは厳しいと判断しました(当時はZoomなんていう便利なツールもなかったので)。
仕事自体は大好きでしたし、自分に合っているとも感じていました。ただ、出版社の自転車操業的、場当たり的な生存戦略に、自分の中の「大切な何か」が蝕まれつつあるのを感じていました。
仕事と育児と家事を回すだけで精一杯の日々。夫から海外移住の提案を聞いて、「ちょっと息継ぎするのもいいかもしれない」と思いました。それくらい、心身ともに疲れ切っていたのです。
まだ幼い子どもたち(当時4歳と2歳)ときちんと向き合いたかったし、せっかくなので海外で学ぶ機会を与えてあげたかった。夫がやっと手にした「海外で働くチャンス」を反古にする勇気もなかった。
最終的には、自分でキャリアの中断を決意しました(太字で自分に言い聞かせる)。
アイデンティティの喪失と向き合う日々
最初に行った国・香港は、家事・育児・介護のためにヘルパーさんを雇う文化がありました。ただ、住み込みが条件なのと(正直抵抗があった)、私自身が子どもたちと向き合いたかったので、しばらく育児優先で過ごすことにしました。
育児は祖父母やヘルパーさんが行うのが前提なので、日本の保育園のように長時間子どもを預かってくれるところはありません。そのため、子どもと過ごす時間は必然的に増えました。ただ、それによって私が満たされたかというと、そうではありませんでした。
「仕事をする自分」を失った喪失感は、想像以上でした。まるで、自分の半分がなくなってしまったような感覚。「仕事をする自分」は、私のアイデンティティを構成する必須要素だったのです。
そして、「仕事をする自分」を失った喪失感は、「子育てする自分」で埋められるものではありませんでした。
これらは、実際に経験してみないとわからなかったことです。
「無理しない程度にできること」を積み上げる
仕事を失うことで、自分がこんなにえぐられるなんて、当時の私は想像できていませんでした。想像できていなかったので、事前の対策もまったくできていなかった。
あまりにもつらくて、夫をなじってしまったこともあります。仕事をやめたくなかった、仕事が思うようにできない今の状況がつらい、と。
でも、会社を辞めて海外へ帯同したのも、ヘルパーを雇わないのも私の決断。結局はそこに立ち返ります。うずくまっていても何も変わりません。「今の状況で自分にできることは何か?」を考えて、行動するしかない。
そう思って、「無理しない程度にできること」を探してやってきました。海外生活を楽しむママ友との違いを感じつつ(地味にえぐられるのは、私の修行が足りないから笑)ほどほどにお付き合いしながら、子育てとのバランスを取りながら、蜘蛛の糸のように細々と。蜘蛛の糸でも、あるのとないのとでは心持ちが全然違います。
器用ではないので、横道にそれたこともあるし、「好きじゃないけどできること」を場当たり的にこなしたこともあります。今だって、理想の状態かと問われると、自信を持ってうなずくことはできません。でも、いろんな方のお力を借りることで、少しずつやりたいことができるようになってきている感覚があります。
中断したキャリアをどう眺めるか
意気消沈してうつむいていると、足元の足りない部分ばかりが目についてしまいます。そして、焦るあまりに「自分でなくてもできる仕事」「とりあえずの収入が得られる仕事」で「今の欠乏」を満たそうとしてしまう(経験あり)。
すると、一時的に多少の収入が得られるかもしれませんが、時間と心の余裕がなくなってしまいます。未来につながる要素も乏しくなってしまいます。
なので、多少無理やりでもいいから顔を上げて、ちょっと先のキャリアを薄目で眺めるくらいがちょうどいいと思うんです。
そして、足元を「自分にとって本当に大切なこと」で少しずつ少しずつ満たしていく。今すぐ結果に結びつかなくていいから、少しずつ少しずつ、薄皮を重ねるように積み重ねていく。
キャリア中断の喪失感は、短期間ではなく長期間で埋めていく。
それくらいの心構えでいたほうが、結局のところ「今」が満たされます。人生は「今」の連続なので、「今」が少しずつでも満たされていけば、いつかの「今」がより充実したものになっていく。
キャリアが中断したあなたへ。そしてキャリアが中断した過去の私へ。
急がなくていいよ。大切なもので少しずつ、今の自分を満たしていこう。